「夢の島少女」「四季・ユートピアノ」のロケ地

変わる町並み 変わらぬ景観

「夢の島少女」少年が住むアパート前の道。

番組開始1時間、少女を家の外に連れ出すシーンで映る、清水建設の特徴的な煙突が、今も存在する。 (2010/2/14)

木場

 「夢の島少女」の少年の家と、「四季・ユートピアノ」の榮子の家は、江東区木場二丁目にある。

 中尾幸世はじめ、出演者やエピソードに共通点の多い両作品だが、主要ロケ地であるこれらの建物も100mと離れていない。

 正確には「離れていなかった」という過去形である。21世紀の現在、二つの建物とも既に無い。

 「夢の島少女」は1974年、「四季・ユートピアノ」は1980年の作品だ。ちょうどその頃、この界隈の町並みは、首都高速深川線の建設と、木材問屋の新木場への集団移転で一変した。

 しかし30年以上経った今、この頃新たに作られた、あるいは逆に取り壊されず残った大型建造物は、殆ど変わることなく、この地域固有の景観を形作っている。

 当時のスタッフが、それを意図してロケ地に選んだのか定かでないが、死と再生という2作品共通のテーマを、地域の景観が物語っているように思う。

「夢の島少女」の少年の家、「四季・ユートピアノ」榮子の家は、中之川の入堀沿いにあった。撮影数年前の航空写真である。 (1971/4/25)

撮影当時、首都高速深川線の高架は、この付近のみ出来上がっていた。番組開始4230秒には、建設中で途切れた高速道路を映したカットがある。

少年の家 跡

 「夢の島少女」撮影のとき既に廃屋だったアパートは、駐車スペースになっていた。窓のすぐ下にあった川(中之川の入堀)も、埋め立てられて今は無い。

 少女が寝かされていたのは、黒い車の後輪あたり。建物が取り壊された後も、護岸コンクリートに埋込まれたままの、水道管の位置で分かった。

 

少女を見つけた川

 番組の冒頭、少年が少女を見つけた油堀川も、埋め立てられ、首都高速深川線の木場出入口になっている。

 撮影時は工事の真最中で、フェンスが張り巡らされていた。場所特定の決め手は、現存する築島橋(写真右奥に見える)。震災復興で1930年に架けられた。少年が少女を背負って渡るトラス橋は鶴島橋だが、油堀川埋め立てと共に廃橋となり、今は近くに鶴島歩道橋がある。

 

鶴島橋(廃橋)。この橋も関東大震災の復興事業で1930年に架けられた。

榮子の家 跡

 「四季・ユートピアノ(A DREAM IN A DIFFERENT KEY)」で榮子の住むアパートの跡も、駐車場になっていた。

 清水建設東京木工場の煙突とホッパーが、この界隈の景観を特徴づけている。工場の建物も昔のままだ。

 現地に赴き、30年以上前と全く同じ風景を見つけたとき、鳥肌が立った。

 

番組開始450秒、日記を失くして家に駆け込むシーンで背後に写るマンション(奥のオレンジ色)。

首都高速深川線と「川」

 首都高速9号深川線の、木場から隅田川にかけての区間は、油堀川を埋め立てて建設された。

 木場にはその名のとおり、東京最大の貯木場があり、木材産業が集積していたが、1969年に新木場が成立し移転したことから、堀川群の埋め立てが実行に移された。

 航空写真を見ると、「夢の島少女」撮影前年末の時点では、まだ一部の橋脚が立ち始めたところで桁が乗っていない。放送翌年には、少年が少女を見つけた川が、無くなっている。撮影時には途切れていた深川線の高架も、南側まで繋がった。「夢の島」が撮影された19748月は、この地域が激変する最中だったのだ。やはり番組スタッフは、この地このタイミングを、意図的に選んだのだろう。

 

「夢の島少女」撮影前年の木場2丁目(1973/12/23

撮影翌年(1975/5/22

 「四季・ユートピアノ」でも深川線の高架橋が映っているが、車はまだ走っていない。9号深川線が開通するのは、放送の24日後、198025日のことである。

 少年の家・榮子の家の裏手にあった「川」(中之川→平久川の入堀)は、しばらく残っていたようであるが、1988年の航空写真では埋め立てられている。跡地は区の資材置場と公園になった。

 

2010/6/17